caminote

caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

What is caminote?

初めまして。caminoです。

この記事は初めて当ブログをご覧になる方にcaminote(カミノート)がどのようなブログなのかを説明するためのものです。

 

caminoteは、筆者であるcaminoTwitter: @humming_camino)が日々の生活を送る中で思った事ををゆる〜く書くという内容のブログです。

そのため内容は多岐に渡ると思われますが、大半はゲームやアニメの話になるかと思われます。

 

ところで、大学のポケモンサークルに入ってからツイッターでそのサークルの方を大量にフォローしたため、対戦考察のような物を期待して当ブログを訪れる方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、当ブログでは基本的にはそういった記事を書くつもりはありません。ご了承ください。

 

カミノートはともかく雑多でゆるいブログです。

記事を更新したらその度ツイートするので、皆様もゆるやかな気持ちで読んで頂けると幸いです。

ID-0感想(ネタバレ注意)

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ID-0

全12話のアニメで先日やっと最終話を迎えたので、ちょろっと感想を書きます。

ネタバレ上等みたいな記事なので見る予定のある方は読まない方がいいかと思われます。

 

 

 

 

 

 

正直言うと、物語の全貌はまだよくわかってないです。

そもそも5話から見始めて未だに1話から4話を見てないような状態なので、なんでイドがあんなに信頼されてるのかとか把握仕切れていな点が多いです。

 

それでも純粋に楽しめたのは、エスカベイターのクルーの明るい雰囲気やオリハルト・MTシステムなどのSF心をくすぐる設定、そして何よりイドの「自分は何者か?」を追うという点で一貫したストーリー故だと思います。

マシンデザインも汎用機のはダサかったですが、イドのデザインはかっこよかったです。青をベースとした機体に赤いマフラー、そして鋭い黄色い目とクセの強いデザインでしたが視聴を続ける内にだんだんと慣れてきました。

 

http://id-zero.com/special/special05.html

汎用機。ダサい。

http://id-zero.com/special/special05.html

イド。カッコいい。

 

直接相対する敵が「惑星」というのもSFっぽくていいです。そして解決の仕方も、コミュニケーションもままならない未知の文明に自分たちの存在を「認識させる」というのも珍しくもSFチックなアプローチだなぁと思いました。

 

一方で人間側の敵であるアダムスも味があってよかったです。アダムスの騎士のような無駄に豪華なマシンもカッコよかったですし、何よりもあの圧倒的子安劇場。「おめでとう!人類!」とかのパワーワードもあって、真面目なシーンなのに妙に可笑しかったです。

 

最終的にケインの人格は死に、ケインの記憶を持ったイドという人格がアダムスと和解するというのも中々クセのある結末で面白かったです。

また自分がかつてケインであったことを知ることで、逆説的に自分がイドであることを認識してイドとしての自己を手に入れた、というのも冒頭で述べた「自分は何者か?」という問いへの回答になっていて綺麗だと思いました。

そして手に入れる名前がイド(ID-0エス(心理学))というのも示唆的で面白いです。

個人的にはゼノギアスを思い出すという点でも印象に残る名前でした。

あっあと精神世界で主人公と敵が対峙するというのもゼノギアスのラストを彷彿とさせる。状況は全然違うけど。

 

そういえばあのソーラン節は何だったんでしょうね。

もうみてる最中は( ゚д゚ )ポカーンって感じで内容が全然頭に入ってこなかったです。

 

最後に本編とは関係ないですが、主題歌がめっちゃ好きです。カラオケに行くたび歌ってます。PVとかでも流れてるので是非見てみてください。それでは。

www.youtube.com

www.youtube.com

もう間に合わない。(けどフルが聴ける)

ひぐらし無料公開記念

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はじめに

ひぐらしのなく頃に」がniconicoで無料配信されています。

ch.nicovideo.jp

リアルタイムで見てどっぷりハマった記憶があります。

ハマりすぎた反動でうみねこが不評という噂も聞いていたのもあり)しばらく離れていたので、なんだか懐かしいです。

物語自体が切ないこともあり、なおさらノスタルジーが掻き立てられます。

「もう過ぎ去った少年時代」とか「失われつつある日本の田舎の風景」という意味でのノスタルジーもあるのかもしれません。

特に中高一貫男子校に通っていたが故に多感な時期にほとんど女子と接する機会のなかった身としては、少年少女が普通にキャッキャしてるだけでも微笑ましくなってしまうものです。

 

この記事では久々にひぐらしを見て思ったことをダラダラと書いていきます。

記事を書いている6月19日の時点ではまだ18話ですが、配信期限(6月25日まで)までに駆け足で見る予定なのでどんどん感想は増えていくと思います。

なので書きたいと思ったことが出るたびにこの記事を更新しようと思います。(ツイートで済んじゃうかもだけど)

ネタバレを含む内容とそうでない内容で記事の中でも分けるので、未視聴の方もご安心ください。

ネタバレなし

1期ですが、次回予告の入り方が実にいいです。

というのも、ED曲の歌の部分が終わって、余韻のメロディが流れてる所にそのまま次回予告が始まるのです。

こればかりは百聞は一見にしかず。冒頭のリンクから実際に動画を見てみてください。

また、次回予告で静かなナレーションと共に文字だけが出てくる演出もグッドです。

文字の出方も毎回違って凝ってるのが見てて楽しいです。

ネタバレあり

以下、ネタバレ回避のため空白

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<<<<<<<<<<圧倒的空白>>>>>>>>>>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圧倒的空白、以上

 

19話のラスト、スタンガンで村長を仕留めた詩音に対し「自分のことをサトシのピカチュウだと思っている精神異常者」ってコメント見てさすがに爆笑しました。

精神異常者ネタ好き。

 

20話ラストの21話の予告で、「血」という文字だけがヒラヒラ舞ってるシーンは鳥肌ものでした。恐ろしや。。。でも全然覚えてなかったです

 

 

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22話罪滅ぼし編冒頭。最近こんな風に腕広げてるだけで「すしざんまい」ってコメントつきますね。

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罪深い生命体。

 

23話、レナと圭一の関係が最初の話と逆転してるのがいいですね。

圭一の「嘘だっ!」にはすっかり驚かされた(すっかり忘れてた)。

ひぐらしに限らず、こういうマクロな構図が綺麗に決まってる話は好きですね。 

 

25話で、ようやく圭一に前世?の記憶を継承する能力が宿りましたね。

圭一が記憶を引き継ぐことで事態を打開できるようになったのは覚えてるのですが、まさかこんな熱い演出だったとは(すっかり忘れてた)(2度目)。

バッドエンドに終わったパラレルの世界が無駄ではなく、それを生かして前に進む展開はループものではよくあるのでしょうけど、ちゃんとループしてる物語の構造を生かしてていいですね。

ゼノブレイドのせいで「運命に抗う」「未来を掴む」という言葉に弱いです。

さっきっから忘れてばかりでしたが、魅音が「仲間だからって全部洗いざらい話す必要はないんだよ」という内容のことを言うシーンはやたら印象に残ってて覚えてました。

よっぽど圭一に感情移入してたのか、視聴当時は目から鱗だったのでしょうか。とにかく衝撃を受けた記憶がありました。

 

一気にガーッと見てしまっています。やるべきこともほっぽり出して……

羽入と鷹野の意志のぶつかり合いが見ててすごい興奮しました。

互いに一歩も譲らない正面衝突の戦いで、意志の強い方が勝つ、というのはフィクションにおいてよくある話です。

しかし、正体の見えない敵や思いのすれ違いという曖昧なものに苦しめられてきたひぐらしの中で、やっと明確な敵が見えてその敵と正面切って戦える展開になるのは見ていてカタルシスが大きかったです。

某ゼノのせいで「意志」という言葉にも弱いので、このシーンは本当に燃えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「モナド」から読み解くゼノブレイドの魅力

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ゼノブレイド7周年おめでとうシリーズ第二弾。

今回は「モナド」に注目してみようと思います。

 

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パッケージでもっとも存在感を放つのがこの「モナド」。

赤く丸っこい独特のフォルムはパッと見では剣には見えないかもしれませんが、これは剣です。This is a ken.

 

改めてこのパッケージデザイン、異質(Xeno)ですね。

パッと見の第一印象でそう思うわけですが、改めてその理由を分析するならば 「パッケージに人物を一切描かずモナドを中心にドンと配置する」というハイセンスなデザインが原因なのだと思われます。

 

でもこのデザインも単に奇をてらっただけではなく、それだけモナドが「ゼノブレイド」において重要な鍵を握るからこそのものなのです。

そもそもゼノブレイドの発表時のタイトルは「モナド」でした。

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こんなしっかりしたタイトルロゴまであったのに結局は「ゼノブレイド」に改題。 

www.youtube.com

PVもありました。

 

一時はタイトルの名前でもあった「モナド」。それは物語の上でもゲームシステムの上でも重要な位置を占めています。

今回はこの「モナド」を軸に、ゼノブレイドの「ゲームシステム」の魅力を語ろうと思います。 

 

 

モナド概要

モナドゼノブレイドの主人公シュルクの専用武器であり、物語の序盤から終盤に至るまでずっと旅を共にする相棒でもあります。

 

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モナドを握るシュルク。彼自身の魅力についてはまた別の機会で。

ゼノブレイドでは各キャラの装備や武器を自由にカスタマイズでき、シュルクも装備(トップスやボトムスなど)は普通に変えられるのですが、武器枠は常にモナドで固定されています。

当然ですが、モナドを他のキャラに装備させることはできません。モナドは常にシュルクと共にあります。

 

モナドアーツ

物語の中でシュルクは幾多の困難を乗り越え成長していくのですが、シュルクと共にモナド自身も成長していきます。言い換えるなら、モナドで出来る事が増え新たな機能が追加されていくと言った感じでしょうか。

モナドの機能に対応するのが、この「文字」です。

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モナドに浮かび上がる文字。そのための穴。かっこいい。

モナドの穴に見える部分は実は幾層ものガラス状のプレートが重なったものであり、各層にはこのように文字が浮かび上がります。

浮かび上がる文字はそれぞれモナドの「技」を表しており、その技は「モナドアーツ」と呼ばれます。これはスマブラシュルクの必殺技にもなっているのでそこそこ有名なのではないでしょうか。

 

先述の通り、物語の中でシュルクが成長するのと共に、使えるモナドアーツも増えていきます。 

レベルアップと共に技が増えていくというのはRPGとしてはごくごく普通のことですが、モナドの場合はそれがトーリーや戦闘システムとも密接に関わっており、それが非常に魅力的です。

トーリー中にシュルクは度々困難に見舞われるのですが、苦境に立たされる度にモナドはその隠された力を解放し、その力を以って事態を打開します。その時得た力はそのままモナドアーツとして、イベント戦闘時はもちろん、以降の通常戦闘でも使うことができます。

またネタバレになるので深くは言及しませんが、モナドに浮かぶ文字はストーリー上で非常に効果的な演出として用いられています。(特に漢字一文字という辺りが。フォントもかっこいい)こればかりは是非ともご自身の目で確かめて頂きたいです。

そして、モナドアーツはゼノブレイド特有の戦闘システムとも非常によく噛み合っています。

 

例を出して説明しましょう。

たとえば物語の序盤で手に入るモナドアーツ「盾(モナドシールド)」。

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見えにくいけど、「盾」。

モナドシールドは、「タレントアーツ」という特殊な技を無効化する非常に強力なモナドアーツです。

しかし効果時間が切れるとシールドも効力を失ってしまうため、ここぞというタイミングで使わなければいけません。

その「ここぞ」を知ることができるゼノブレイド特有の戦闘システムが、「未来視(ビジョン)」です。そしてこの「未来視」もまた、モナドの力によるものなのです。

 

未来視(ビジョン)

未来視と書いて「ビジョン」。

未来視は、モナドの最も強力かつ重要な機能です。

 

読んで字のごとく、未来視は「少し先の未来のことを視ること」です。有り体に言えば、未来予知って感じでしょうか。

しかしこの未来視、困ったことに能動的に発動できる能力ではないのです。言うなれば未来視は「モナドが見せる未来」。そしてそれは時に望ましくない未来をも見せてしまうものです。

ですが、物語の序盤でモナドの見せる未来視は「既に定められて変更することのできない未来」ではないことが示唆されます。

モナドの持ち主であるシュルクに言わせれば未来視は

何もしなかったら

何もできなかったら

こうなるぞっていう–––

警告 

 なのだそうです。

 

話が物語寄りになってきましたので少し軌道修正します。もちろんこの「未来視」は物語の中で度々出てきて重要な役割を果たすのですが、それは別の機会に語りましょう。

先ほどのモナドアーツ、「盾」の話に戻しましょう。

ゼノブレイドの戦闘では度々「未来視」が勝手に発動し、味方がピンチになったり戦闘不能なったりする「未来」を見せつけてきます。その時に、敵がどんな技を使うかも表示されます。

そしてその技がタレントアーツなら、「盾」で防ぐ事ができます。そうすれば本来瀕死のダメージを食らっていたはずの味方は一切ダメージを受けないため、望ましくない「未来」を回避する事ができます。

この未来を視ながら戦う独特のシステムこそが、ゼノブレイドの戦闘の醍醐味です。

 

初めてこの「盾」を決められた時はかなり気持ちよかったです。

というのも、相手の一手先を読んでそれに対処するという行為を通して、ちょっと賢いことをしているような気分に浸れたからです。この気持ちよさは言葉ではどうしても伝えにくいものです。

その次にcaminoが書く言葉など、未来視が使えなくてもわかりきっているでしょう。

 

 

 

 

実際にゼノブレイドをプレイして、その快感を味わってみましょう。

 

終わりに

如何でしたでしょうか。今回は「ゲームシステム」の話をするつもりだったのですが、結構な頻度で話があっちゃこっちゃあらぬ方向へ行ってしまいました。

しかしそれも、ストーリーや戦闘システムなどのあらゆる要素が密接に関係している故のことであり、またゼノブレイドの魅力の1つでもあるのです。

この各要素が密接しているということは、ゲームへの没入感を高める上で非常に効果的に作用していると思われます。実際、戦闘中に何度も未来を視ていたため、ストーリーで急に未来視が出てきてもそんなに違和感はありませんでした。

 

ところでゼノブレイドの「ゲームシステム」についてですが、今回は「モナド」に関係するところだけ説明しています。

他にもゼノブレイドには魅力的なゲームシステムがあり、中でも「キズナ」関係はゼノブレイドの魅力を語る上で絶対に欠かせない要素だと思います。

なので次回は「キズナ」を軸に語っていきたいと思います。

 

 

 

そういえば、そろそろE3ですね。「ゼノブレイド2」の新情報が出るといいなぁ。

「巨神と機神」から読み解くゼノブレイドの魅力

ゼノブレイド7周年です。めでたいです。

Switchで「ゼノブレイド2」が発売される上、その情報が今週の水曜のE3で(高い確率で)公開されることもあり機運は高まるばかりです。

 

そんなわけで、ゼノブレイド7周年を記念して今までずっと語りたいと思っていた「ゼノブレイドの魅力」について書いていきます。

 

改めまして「ゼノブレイド」について紹介。

ゼノブレイドは2010年6月10日に発売されたWiiRPGです。

昨日はゼノブレイドが発売されてからちょうど七年経つ節目の日であったため、記事を投稿しました。

そこでゼノブレイドの魅力について語ろうと思ったのですが、ゼノブレイド自身がものすごいボリュームを誇るゲームであることもあり、記事も膨大な長さになりそうだと思ったため昨日の記事は「予告記事」のような体裁を取らせてもらいました。

なので、今日の記事からが本番です。

今回はまず、ゼノブレイドの「世界観」の魅力について語ります。

 

 

あらゆるゼノブレイドの魅力の土台となっているのが、

「向かい合う二柱の巨大な神の骸の上に人々が暮らしている」

という独特で力強い世界設定だと思います。 

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パッケージの裏にもでかでかと書かれる「巨神と機神」。キーワードです。

 

ゼノブレイドを起動してNew gameを選択するとまず初めに語られるのがゼノブレイドの世界の創世神話

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遥か昔 この世界がまだ

どこまで行っても果てない海と

どこまで行っても 尽きない空だけだった頃

二柱の巨大な神が生まれた

巨神と機神

神々は 互いの存亡をかけて戦い

そして 骸となった

動画版はこちら。

www.youtube.com

これだけでとにかくスケールの大きさが伝わってきますよね。

初めて見た時は興奮を抑えられませんでした。

 

広大なゼノブレイドのフィールドは全てこの神の骸の上に成り立っているものです。

活気溢れる街「コロニー9」も、鬱蒼としたジャングル「マクナ原生林」も、神秘的な光景が人気の「エルト海」も全て。

その全てのフィールドが一柱の神の上に乗っかってると考えると、相当なスケールを感じます。(ちなみに「社長が訊く」によると神の大きさは日本列島くらいなのだとか。でかい!)

社長が訊くついでにもう一つ紹介すると、「ゼノブレイド」の企画が始まる発端となったのがこの二柱の神の模型だったそうです。

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社長が訊く」より抜粋。

www.nintendo.co.jp

詳しい話は上記リンクをご参照ください。

 

この二柱の神、向かい合い互いに刃を向け合っているということも重要なポイントとなってきます。

ゼノブレイドの物語の中核を担う要素として、「巨神界と機神界の対立」があります。

物語の最中に起きる様々な出来事の中で、「巨神界を襲う機神界」という構図が強調されます。

しかし具体的な出来事やセリフより重くのしかかってくるのが、「二柱の神は争いの痕跡を残したまま沈黙し、自らが暮らし歩く大地となっている」という事実です。

映像作品ではよく「言葉にせず映像で語る」という技法が用いられしばしば効果的な演出となっていますが、ゼノブレイドは「世界そのものが」常に無言の主張を放っています。

このことがもたらす魅力については、既プレイの方なら大いに理解していただけることでしょう。

 

「自分たちが神の上に暮らしている」という事実は、折に触れくどくなりすぎない程度に主張されます。

例えばそれはテフラ洞窟を抜け巨神脚に到着した時に見上げる機神の姿であったり、巨神に生まれたものは巨神に還るという「巨神葬」の習慣であったりします。

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テフラ洞窟を抜け巨神脚に到着した時に見上げる機神の姿」。パッケージにも採用される物語序盤の象徴的なシーン。

そしてこの事実は物語の終盤で思いもよらぬ効果をもたらし、話の主軸となっていく……のですが、これ以上はネタバレですね。

 

物語的な意味でも、主人公が暮らす大地と言う意味でも「ゼノブレイド」の世界を根底から支える土台となる「巨神と機神」。

これはゼノブレイドの魅力を語る上で欠かせないポイントだと思いました。

 

今回はここまでです。次回はまた違う切り口からゼノブレイドの魅力について語ろうと思います。 

ゼノブレイド7周年おめでとう!

ゼノブレイド」が発売から7周年を迎えたそうです。おめでとうございます。

 

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「この世で一番好きなものは?その次に好きなものは?次の次に好きなものは?次の次の次に……」

という問いを続けられたら必ず10本の指の中に入ると断言できるものの1つに「ゼノブレイド」があります。

caminoはそのくらい「ゼノブレイド」が好きです。

 

冒頭から重いですね。

一応ご存知ない方のためにも「ゼノブレイド」の軽い説明から。

 

ゼノブレイド」はWiiで発売されたRPGです。世界観はファンタジー寄りで、基本的には一本道のストーリーの物語です。

よく練られた長大なストーリーや、巨大な神の上に暮らす人々といった独特の世界観、美麗なフィールドや良質な音楽など様々な要素のクオリティの高さが評判を呼び、高く評価されています。

その評判の良さからかシリーズは「ゼノブレイドクロス」「ゼノブレイド2」と続き、主人公のシュルクもあの「スマブラ」へ出演する快挙を成し遂げました。

 

さて、そんな素晴らしいゲームであるところのゼノブレイド。魅力についてたんまりと語りたいところですが、書き始めるとあまりにも膨大になりそうなので記事を数回に分けることにします。

 

なので今回はここまで。次回から「ゼノブレイド」が如何に素晴らしいかを語っていきたいと思います。

 

 

改めて、僕はこのゲームに出会えたことが本当に幸せなことだと感じます。

 

ミュシャ展

ミュシャ展!行ってきました!

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展覧会のチラシを額縁に飾ってみたの図。独特な青がいい味を出している。

 

ミュシャってなーに?って人はこちらを参照あれ。

ミュシャ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

 

僕自身ミュシャという画家の存在を知らなかったのですが、

「いわゆる『アニメ絵』の始祖的な人」

「二次元の絵を描いてる界隈の中では有名な人」

などと、一般的な西洋画家とは一風変わった評判を聞き、面白そうだと思ったので行ってみました。

 

実際に見てみると、ミュシャさんには2つの側面があるなと感じました。

1つは、「華やかで洗練されたポスターや装飾パネル(先述のリンク内の記述)」の輪郭のはっきりしたアニメ絵的な側面。

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下の一番左、ポストカード買いました。

そしてもう1つは、今回の展示の目玉の「スラブ叙事詩」に代表されるいわゆる西洋画な側面。

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とても同じ人が描いてるとは思えなくてただ感心するばかりでした。

 

ところで、「スラブ叙事詩」の一部は撮影が許可されてました。

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どどどどーん、と。

一つ思ったのは、どの絵にも人がたくさん描かれているなぁ、ということ。

当日は土曜であることもあり大変な大盛況で、どの絵にもたくさんの人が群がっていました。遠くからその様子を見てると、なんだか絵の中の群衆と現実の聴衆の境が曖昧になり、絵の中の世界と現実の世界が溶け合い混ざり合っているような不思議な感覚になりました。

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絵と現実が混ざるといえばこの方。ミュシャとは全く関係ありません。

 

妄想に走りすぎました。閑話休題

全体的な感想としては、まず「スラブ叙事詩」がひたすら大きかった!ということです。展示スペースもかなり広かった上、20枚もの「スラブ叙事詩」を展示していたため広い!でかい!多い!とスケール感の大きさに圧倒されるばかりでした。

内容面で言うと、全体的に「埃っぽい」印象を受けました。換言するなら、「水が極端に少ない」といった感じでしょうか。

とにかく乾燥していて、舞い散る砂ほこりで風景が少しぼやけているような感じ。

もう一つ感じたのは、(一部の作品では)光の描写が壮大だな、と言うポイントです。

うまく言葉にするのは難しいのですが、ものすごく暗いところから明るいところまで連続的なグラデーションの変化が見られる、と言う感じでしょうか。

その描写のおかげか、絵そのものが発光してるような感覚に陥りました。

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これとか。画像では全然そんなことないですが、現物はすごかったです。照明の当て方もうまかったのかも?

個人的にはターナーの絵の光に似てるなーと感じました。

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ウィリアム・ターナー。19世紀のイギリスの画家。「ターナー展」で出会って以来彼は今もなおcamino's No.1。

 

知識がないのでふわっとした感想になりがちでしたが、今回はここまでです。

最後に、撮影コーナーで「絵の全体ではなくあえて一部分だけを接写してみたらいい感じに撮れた」写真たちを紹介します。スマホやPCの壁紙に使える……かもしれない。

変な話ですけど、「スラブ叙事詩」は写真映えするなぁと思いました。

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【追記】

録画していたNHK Eテレの「日曜美術館」という番組でミュシャ展が紹介されていたので、それについて少し触れます。

日曜美術館でも最初にミュシャの「2つの側面」に触れていたので、冒頭で述べた感想はあながち見当はずれなものでもないな、と思いました。

ただそこでは人物の表情に迫っていたのが印象的でした。

日曜美術館曰く、ポスターなどの「きらびやかで明るい表情」と、スラブ叙事詩などの「暗い表情」が対照的なのだそうです。

確かに人の表情を見るとハッキリと明暗が分かれており、驚かされました。自分で見たときは全然気づかなかったなぁ。

 

日曜美術館では、この2つの側面についてミュシャの制作環境の違いにも言及していました。

「明るい」方はパリで制作していたもの(展覧会の時もパリ万博のポスターがどうのうと書いてあったような気がする)で、スラブ叙事詩チェコに戻った時に制作したものなのだとか。

なんでもチェコに戻ったときは敗戦により占領下にあり、公用語までドイツ語にさせられていたのだとか。で、スラブ民族の存亡の危機を感じたミュシャスラブ民族アイデンティティの保護(?)のために16年もかけ「スラブ叙事詩」を完成させたというストーリー。

 

なるほど確かに筋の通った話だ。

本来はこういうのは展覧会のパネルにも書いてあったのでしょうが、混雑していたこともありちゃんと説明を読んでいなかったので、「しんはっけーん」って感じです。

元々めんどくさくて説明書きはあまり読まないタイプなんですけどね……(小声)

 

なんにせよ、人によって見方が違ったり、歴史的な側面から作品が生まれた背景を知るのも面白いのだなぁ、ということを実感しました。

ありがとう日曜美術館