caminote

caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

生物系博士がITエンジニアに転向した話

caminoです。

今回は人生の大きな転機、「就職」をしたのでその話をします。

なお、今回の記事は自分の感情や記憶の整理のために書いた自己満足記事です。

ご了承ください。

前提知識とか

就職の話をする前に、caminoのキャリアはあまりにも特殊なのでまずその説明が要ります。

(※ある程度は説明しますが、分野に全く馴染みのない人に向けて一から説明しようとするとwikipediaになってしまうので詳細は割愛。理系大学生の一般的な進路や、大学院などの制度については既知として記事を書きます。)

caminoの過去

過去の記事でも書きましたが、自分は院試を受けて外部の大学院に行きました。

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大学院に行く時点で修士の2年間を研究に捧げることは確定なのですが、博士課程に進学して更に「もう3年研究できるドン!」をするかは個々の選択に委ねられており、実際自分の周りでも進学直前まで悩んでいる人がいました。

自分は、大学院を受験する時点で博士課程まで進学する決意をしていました。と言うのも、自分が大学院に進学したのは「自分が興味のある研究をやりたい!」という動機によるものでした。自分の研究分野はざっくり生物学なのですが、生物系の研究は実験に膨大な時間がかかります。そのため生物系分野では、修士の2年程度ではロクにデータが取れず先生や先輩の研究の手伝いに終わることが多いです。自分は短い期間で中途半端な形で研究を終わらせたくなかったので、初めから博士課程に行くつもりで大学院に入りました。

ちなみに博士課程を修了した後のキャリアについては、大学院に入学した時点ではあまり深く考えていませんでした。修士+博士の5年間で研究に打ち込んでみて、5年後も研究をしたいと思っていれば研究者としてのキャリアに進もうと考えていました。(と言いつつ、まぁなんだかんだ研究者の道に進むんやろなみたいな謎の確信はありました)

caminoの現在

いま自分は、就職してITエンジニアをしています。大学院での5年間の研究とはほとんど関係がなく、専門性が活きる訳でもない道に進みました。

最初に断っておきますが、自分は博士課程に進学したことを微塵も後悔しておらず、現在とても幸せに日々を過ごしております。

余談ですが、博論のレビューをして頂いた教授(所属研究室の教授とは別)とお話しした際に、自分の卒業後の就職先や私生活の話をしたら「順風満帆ですね(笑)」と言って頂けた事が強く印象に残っています。その位、客観的に見ても充実した日々を過ごせているのかなと思っています。

 

過去と現在を繋ぐ話

大学院進学前から博士修了後まで一気に話が飛びましたね。この間の話がこの記事の本題です。

つまり、

  • なぜ研究者の道に進まなかったのか?
  • なぜ専門性を活かす職業ではなく、ITエンジニアを目指したのか?

といった話をして行きます。

研究者としてのキャリアに進まなかった理由

理由は正直言うとめちゃくちゃあります。

ただ一言でまとめるなら、「自分は研究より勉強が好きだった」。これに尽きると思います。そしてこれは、割とありふれた話でもあったりします。

勉強の方が好き

後述するように「研究」と言う行為はものすご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く大変です。それでも研究者になる人が後を絶たないのは、「研究」という行為が合う人にはすごく合い、どんなリスクを負ってでも一生やっていたい程の魅力があるからだと思います。自分もその気持ちは分かるのですが、自分の中では大変さに見合うほど研究したい気持ちが強くなく、何より勉強したい気持ちが勝っていました。

ちなみに、便宜的に「勉強したい」と表現しましたが、実際はそんな高尚な感情ではないです。自分の中の欲求をより正確に記述するなら「知りたい・理解したい」という単なる知的好奇心でしか無いような気がします。そしてこれは、本や論文を読むことで満たすことができる欲求でした。

研究はとても大変

↑大変です。ええホントに。

「研究」と一口に言っても、様々な工程を含みます。

分野や人によってスタイルは多種多様だと思いますが、一旦以下に自分が経験したものを記します。

  • 先行研究の調査
    • 現時点で「何が分かっていて何が分かっていないか」を高い解像度で理解する必要があります。
  • 仮説を考える
    • 分かっていない事柄に対して、どのようなメカニズムが想定されるか考えます。
    • 既知の事象をヒントに幾つか可能性を考え、どの可能性が最もあり得そうかを議論します。
  • 実験を計画する
    • 考えた仮説を証明するにあたって、どのような実験をすれば良いか計画します。
    • 生物系の実験では、この段階で試薬や実験機器、実験動物などの実験に必要なモノを揃えたり、実験のやり方(手技)を教わったりする必要があります。
      • 手技:実験の種類にもよりますが、生物分野では「ただ手順通りにやれば良い」系ではない実験があります。上手くやるためには手先の器用さが求められ、熟練者に何度か見てもらう必要があります。こういった巧拙が出るタイプの実験に対して「手技」と言ったりします。(例:実験の手技が悪くてデータに再現性がない)
  • 実験をする
    • 基本的には計画した通りに実験を行うだけです。ですが、それがとても難しい。
    • 実験は長いものだと1回の試行に数ヶ月かかるものもあったりします。加えて、大抵の場合1つの実験だけをしていれば良いと言う訳ではなく、複数の実験を同時に進めます。なのでスケジュールを管理したり、実験ごとに試薬やサンプルをきちんと整理するような几帳面さも求められます。
    • データを取得したり、実験の工程をノート等に記録するのも実験の一環です。
  • 実験でデータを解釈する
    • ある意味1番楽しく、1番辛くもあるパート。
    • データを適宜加工、統計処理した上で、得られたデータがどのように解釈できるかを考えます。
  • 研究成果を発表する
    • 解釈したデータを幾つか集めて、1つの一貫した話を組み上げ、発表します。
    • 発表の形は様々。研究室内で進捗報告することもあれば、研究室外の学会でポスター発表や口頭発表することもあります。最終的には論文を執筆し、学術雑誌に投稿します。
      • 生物分野では、基本的に論文は全て英語で書く必要があります。雑誌に投稿する際もレビュアーとのやりとりを経て、論文が受理 or 却下されます。晴れて受理となっても、高い掲載料を求められる事が多いです。

既に大変さが伝わってきたと思いますが、これはあくまで「表」です。一つ一つの工程の「裏」には、様々な苦労が隠れています。例えば「議論」と一言で済ませている所にも膨大なやり取りがあり、時には意見の食い違いもあったりします。「手技」も大変で、まともに実験できるようになるまで、ものすごい数の練習が必要になったりします。データの解釈も一筋縄では行きません。明確に実験が成功したり失敗したりした場合は良いのですが、「よく分からないデータ」が出た時が1番困る。時間も金も制約がある中で、何とかして何かしらの解釈を導き出して発表しなければならない事が往々にしてあります。こういう「敗戦処理」的な時間が、研究をしている中で自分は1番苦痛でした。

研究者の道のりも大変

これほど大変な「研究」という行為も、それ1本で食べて行こうとすると更に別の大変さが襲いかかってきます。

まずはポストの不安定さ。博士号を取得して研究者を目指そうとすると、まずは「ポスドク」と呼ばれる研究者見習い的なポジションにつくことになります。が、この「ポスドク」は基本的に任期付きです。大抵3〜5年ほどしたら別の研究機関に行かないといけなくなります。言うなれば数年ごとに強制的に転職させられるようなものです。次の行き先を斡旋してくれるような環境もあるのでしょうが、基本的には自分で「就活」しなければいけません。ポスドク研究員を募集している研究室を探し、応募書類を出して、面接して……。人材の流動性を高めることが叫ばれる昨今ですが、「転職できる」と「転職しなければならない」の間には天地の差があります。数年おきに自分が他者からの評価に晒され続けるというのは相当なストレスになると思います。

加えて、給与面や立地などの不安もあります。正直研究者の給与はそこまで良くないですし、自分がやりたい研究をするためには今住んでいる所から引っ越さなければならない可能性もあります。

まとめ

詰まるところ、研究者の道に進まなかった理由は、

  • 「研究」という行為が魅力的に感じなくなった
  • 「研究者」という職業もハードに感じた

の2点に尽きます。

 

ITエンジニアになった理由

大学に残って研究者として生きる道をやめた際に、二つの選択肢が出てきます。

  • 大学で研究した事を活かして、専門性が活きる研究職に就く
  • 大学の研究とは全く関係ない職業に就く

自分は後者を選びました。

なぜ研究職に就かなかったのか?

普通に考えて、大学で研究した内容を活かした職業に就く方がアドバンテージが大きいです。学部卒や修士卒ならまだしも、博士卒となると流石に企業も専門性を求めてくるため、博士として就職しようとするなら研究職に就く方が自然です。

自分は生物分野なので、製薬や食品業界が候補に上がってくるでしょうか。実際にこれらの企業の説明会を聞いたり応募したりしたのですが、様々な問題がありました。

  • そもそも製薬企業は就活が始まるのが早く、自分が就活を始めた時は大半が募集を締め切っていた
  • 食品業界では、自分の研究分野とドンピシャ被る内容をやっている企業は中々いなかった
    • 自分の研究分野から少し離れた内容だったためあまり興味が持てず、正直モチベーションが上がらなかった
    • 研究分野が少し特殊なこともあってか企業からの受けが悪く、内定があまり取れなかった

あまり企業のやっていることに興味が持てない状態で内定も取れないとなれば、モチベーションが上がらないのも無理はないでしょう。

数ある職業の中から何故ITエンジニアを選んだのか?

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上の過去記事でもITエンジニアを選んだ経緯は少し書いてありますが、要素の一つは「偶然の巡り合わせ」です。就活を進める中でIT企業の話を聞く機会がチラホラあり、話を聞くごとに徐々に興味が湧いていったと言う感じです。

加えて、「大学院での研究でプログラミングに触れた際に面白さに気づいた」という要因もあります。データ処理やファイル整理のためにちょっとしたコードを書いた程度でしたが、それでも自分で書いた通りに自動で処理を実行させることに成功した時は、えも言われぬ快感が迸ったのを覚えています。

他にも、大学院でプログラミングに触れる前から「デジタル的なもの」に対する漠然とした興味はありました。大学の学部の授業でバイオインフォマティクスをやった際に少しプログラミングに触れたことがあったり、もっと遡るとポケモンのゲームをバグらせたりした時に(どうしてこんな現象が起きるのだろう?)と子供心に不思議に思っていたこともあります。ガジェット系の興味も中高生くらいの頃からありました。iPhoneが日本に上陸した際に周囲がガラケーを使う中真っ先にiPhone3Gに乗り換えたり、iPadPomeraみたいなデバイスを使ってみたり、Evernoteなどのサービスを使いこなそうとしてみたりしました。

↑余談ですが、この時期にWebブラウザも凝ったものを使いたくなり、当時もマイナーだったCaminoというFirefoxベースのブラウザを使っていた時期がありました。このWebブラウザの名前がcaminoというハンドルネームの由来だったりします。そんな自分が今ではWebブラウザに関連する仕事に就いているというのですから、因果なものです。ちなみにCaminoはだいぶ前に開発終了しています。

また、自分の体感ですがIT業界は他の業界と比べて対応が丁寧だったのも好印象でした。面接担当者の方はみんな非常に丁寧で、敬意を持って接してくれた印象があります。フィードバックも充実しており、面接ごとに人事の方から「どのような印象だったか」を丁寧に説明してもらえました。また、自分が受けた企業はいい意味で「余裕」があるのを感じられました。IT業界は人手不足でどこも人材の取り合いみたいな偏見があったのですが、少なくとも自分が受けた所はそのような(悪い意味での)切迫感は少なく、内定受諾を迷っている旨を伝えた際も柔軟に対応してもらえました。

まとめ

要約すると、自分がITエンジニアになった理由は

  • 元々プログラミングやその周辺分野に興味があった
  • 生物系博士としての専門性を活かした就活が上手くいかなかった
  • 様々な巡り合わせの果てに、いつの間にかITエンジニアの道に立っていた

という感じです。

おまけ:博士課程を完走した感想

おまけコーナー。上のパートで書ききれなかったけど、書いている内に思い出した博士課程の思い出などをつらつら書いていきます。

ところで、皆さんは良いことと悪いことのどちらを先に言うタイプですか?僕は悪いことを先に言うタイプです。なので博士課程で大変だった思い出を先に書きます。ですが、博士課程に行って楽しいことも大変なことも沢山あったけど、トータルで見て博士課程に行って良かったと思っていることを、冒頭でも述べましたが改めて断っておきます。

博士課程でキツかったこと

雑用が大変だった

基本的に、研究室にいる学生は「研究に従事させてもらっている代わりに雑用をしなければならない」という風潮に晒されることになります。所属しているコミュニティに貢献しろと言うのはある程度は理解できるのですが、それにしても大変でした。特に博士学生は研究室運営に積極的に貢献することを求められ、雑用の量は更に膨大に。それでも、先生方の抱えている雑用の量に比べるとまだマシなので文句も言いづらいという精神的な負荷もありました。 おまけに自分の場合は、1つ上と1つ下の代がいなかったため研究室にいる博士課程学生が実質1人という状況が長く続いており、大量の雑務が集中していました。

具体的には、飼育ケージ洗浄の当番決め、実験廃棄物の廃棄&マニュアル作成(ちょうど自分が博士に上がった年に大学全体で制度が大きく変わり、その変更を逐一把握して共有しなければならなかった)、飼育室の温度湿度管理、年末の大掃除の(一部)指揮、後輩のお困りごと解決(実験機器の使い方が分からない、物の場所が分からないなど)、備品のストックが少なくなったら発注or補充、蛍光灯の交換、ゴミ捨て、ケージ洗浄、部屋の掃除などなど。

また、上のような平常タスクと並行して、しばしば臨時タスクも発生しました。一例として「学生居室のセッティング」なんてものがありました。詳細は割愛しますが、D2の春に突然今までいた居室を追い出され、他の研究室の学生達(面識ない)と共同の居室に追いやられたことがありました。しかもこの部屋は元々別の用途で使っていたものを新たに学生居室として使うことになったものだったので、様々なセッティングが必要でした。使用時のルールやら、部屋のレイアウトやら、どの座席に誰が座るかとか、備品の予算はどの研究室から出すのか、などなど色々決めることがあって、まあ大変でした。勿論他の学生たちも協力的で助けられたのですが、そうは言っても複数の研究室のメンバーが1部屋に集うのをオーガナイズするのは心労が溜まりました。大きなトラブルもなく仲良く過ごせたのは本当に良かったです。

この部屋は基本的には居心地は良かったものの、D2の年末に暖房が止まるというアクシデントが発生。業者に頼もうにも年末年始休みに入っており、結局年が明けるまで凍えながら研究室で過ごすことになったとさ。(業者に頼んだり、来てくれた業者さんの対応をするのも学生のタスクです)え?なんで年末年始なのに研究室にいるのかって?HAHAHA.... (ちなみに自分は大晦日と元旦は休めました。これでも他の博士学生と比べると恵まれている方でして……)

他にも留学生の受け入れ業務なんかもやりました。留学生に大学のキャンパスを案内し、事務まで連れていって入学周りの手続きに同行し、区役所に行って入居の手続きを手伝う、などなど。もっとも、これは「業務」とついていただけあって大学から給料の出るTAとしての仕事でした。でも、研究に従事するはずの大学院生にこういう仕事をやらせないとお金をあげられない大学の懐事情とか、そもそも大学には留学生の入学サポートをする事務員を雇う余裕もないのか……?とか色んなことを思いましたね

 

申請書を書くのも辛かった

雑用だけでもこれだけウンザリする分量の文章が出来上がりましたが、他にも大学院生にはやることが。そう、「申請書」。

いわゆる卓越大学院とか学振とか呼ばれるものです。倍率は高く、上位30%程度の学生しか通らないと言われています。通れば月18~20万の給料(好きに使っていい)+研究費が貰えるという代物。ですが、通らなければ無一文。親の脛齧りジッカネズミをするしかありません。

ちなみにcaminoは、卓越大学院、(DC1)、DC2(1回目)、DC2(2回目)と出し続け、全部落ちました。しかも、優秀な先輩や同期たちが次々申請書を通す姿を横目に見ながら。どれだけ時間かけて頑張って申請書を書いても、通らなければ全てパー。しかも選考基準も曖昧で、落ちた所で文章の何がいけなかったのか対策を立てるのも難しい。

※DC1が()なのは、あまりにもクオリティが終わってて出すのやめろと言われ結局出さなかったためです。

申請書を書く作業も、一部は自分の研究分野を改めて勉強し直すいい機会になったり、論理的で読みやすい文章を書く鍛錬になったりとプラスな一面もあったのですが、大部分は美辞麗句を並び立てて如何に自分の研究を「盛る」かのゲームと化していたように思います。学生の内からバンバン論文を出したり国際学会に出たりと成果のあるごく少数の人は別ですが、そうではない大多数の凡庸の1人であった自分は、この「ゲーム」に躍起にならなければなりませんでした。故に、「嘘にならない範囲で自分の研究のプラス面を強調しマイナス面を目立たないようにするにはどうすれば良いか?」「どうすればパッと見で研究の概要を理解できる図を作れるか?」といったことを考えたり、「主語と述語をなるべく近づけたり、文章を網掛けや太字、下線、斜体などで強調したり、フォントやフォントサイズ、行間サイズに拘ったり」といった文章のレイアウトを整えることに心血を注ぎました。

こういった「盛り」の作業は、自分は正直つまらないと感じていました。知的好奇心は満たされることなく、半ば詐欺をしているような感覚に陥ることもあり、精神的な負荷が大きかったです。

しかも、申請書は先輩や先生に何度か見てもらいながらブラッシュアップを繰り返すのが通例とされていますが、人によって言ってることが違ったり、直したつもりの所をダメ出しされたり、最後の方は直せど直せど申請書のクオリティが上がってるのか下がってるのか分からなくなってきたりします。結局この現象は、「評価基準が曖昧であること」に起因してると思われます。評価基準がよく分からないまま五里霧中を彷徨うのは本当にしんどかったです。

以上挙げたように、申請書を書く作業は

  • つまらない上に研究が進むわけでもない作業を延々とやらされる
  • 時間をかけて書いた申請書も、厳しい競争に晒され、一定のラインを越えなければ自分の元には何も残らない(フィードバックが乏しく、何がいけなかったか分からないので次に活かせない)
  • 先輩や同期たちの申請書が次々と通る中、自分だけ3回連続で落とされる

といった、自分にとってかなり精神負荷の高いものでした。

しかも、これは学生のうちだけでなく研究者になってからも続くと思われるものです。研究者はただ研究をするのみならず、予算獲得のために申請書を書く必要がある場合がほとんどです。何なら、学生の申請書は将来研究者になって本格的な申請書を書くための練習とまで言う人もいます。こういった事も、研究者の道に進まない選択をした一因だったりします。

 

博士課程に行って良かったこと

先述の通り、自分は博士課程に行って良かったと思っています。

  • レベルの高い人たちのいる環境に身を置くことができた
    博士課程に進学する人は学力が高く、優秀で、向上心が強い傾向があると思っています。環境というのは大事で、周囲にそういった人たちがいるだけで刺激になったと思います。
  • 雑務ラッシュをこなして強くなった
    「キツかったこと」であげた雑務ラッシュですが、良いことと悪いことは表裏一体で、雑務ラッシュをこなす事で心身ともに鍛えられた気がします。加えて、所属コミュニティに積極的に貢献することの重要さを学ぶこともできた気がします。細々としたタスクを面倒がらずに進んでやると、意外と他の人は見ているもので、信頼されたり評価されたりという経験をすることができました。これを理屈ではなく体感で会得できたのはかなり大きいと思っています。
  • 先生や後輩に頼られ、期待に応える経験をすることができた
    博士学生という研究室運営に携わるポジションにいると、先生からちょっとした仕事を振られたり、後輩の学生から何かにつけヘルプを求められたりします。上から下から頼られるのは大変な事でもありますが、彼らの期待に応えた際に感謝されたり、信頼が強まったりするのを感じました。情けないことに自分は今までそういう責任のある立場につくことから極力逃げ回っていたのですが、いざそういう立場になってみると大変だけど思っていたより悪くないなということが分かりました。上と繋がる話題ですが、こういった経験からも所属コミュニティに積極的に貢献することの重要さを学ぶことができた気がします。
  • 論理的・科学的な思考力が上がった
    どこの研究室でもそうだと思いますが、論理的・科学的な思考方法について厳しく訓練されました。お陰で、大学院に入る前と後では物事の見方がガラッと変わる位には成長できたと思います。特に大学院に入る前は物事を定量的に捉える習慣が致命的に欠けており(お前本当に理系か?)、その点を改善できただけでも博士号を取った甲斐があったと感じています。

  • 文章力、プレゼン力が鍛えられた
    上で散々愚痴っていた点ですが、申請書を書いたり研究発表をしたりする経験を通じて文章力やプレゼン力が鍛えられた気がします。特に自分のいた研究室では、スライドの構成や「てにをは」など微に入り細に入り厳しい指導が入っていました。研究の役には立っていなかった気がしていますが、社会に出てから非常に重要になるスキルを磨けた気がします。(実際、自分は社内のイベントで何度か司会を務めてかなり好評を頂いたりしています。その実績を評価され、来年度の入社式の司会も部分的に務めることになりそうです。新入社員としてはかなり異例のことではないでしょうか)
  • 英語の読み書き+話し聞きが上手になった
    大学院にいる間は、常に膨大な量の論文を読むことになります。先行研究の調査であったり、実験手法の参考にするためであったり、とにかく大量の情報を常に仕入れることが必須です。これらの論文はほぼ全てが英語なので、必然的に英語の速読はめちゃくちゃ鍛えられることになります。
    初めの内は爆速で論文を読む先輩たちに圧倒されて(こんなん無理だよ〜)と思っていたのですが、めげずにたとえゆっくりでも論文を読むことだけは続けていました。するとある日、急に英語が"軽く"思える瞬間がやってきました。気分は石碑を前にしたムスカ大佐です(読める!読めるぞ!)。論文というある程度フォーマットの決まった形式の文書に絞って読み続けていたのが良かったのか、どこにどんな情報があるかがパッと分かるようになりました。お陰で、今でも趣味で英語のニュースサイトや洋書を読めるくらいの英語読解力はあります。
    また、研究室に留学生がいたため研究室内の発表言語が英語だったり、そもそもその留学生と意思疎通するのに英語が必要だった事もあって、「読み」だけじゃなく英語のスピーキングやリスニングの力も鍛えられました。また、先述の通り学術雑誌に提出する論文は英語で執筆する必要があるため、ライティングも否が応でも鍛えられました。
    結果、英語のリーディング、ライティング、スピーキング、リスニングの4技能が全て鍛えられることとなりました。これらは仕事でもプライベートでも幅広い場面で役に立つものなので、本当に良かったと感じています。
  • 自信がついた
    幸運なことに、自分は国際学術雑誌に論文を掲載することができ、その成果をもって博士号も取得することができました。こういった形に残る称号を得ることができただけでも、達成感があり、自信につながりました。
    (まだ作っていないけど)名刺にPh.D.と書けることや本名でググったら自分が世界に向けて出版した「作品(論文)」がトップに出てくるといったことは、他の人から見たらきっと些細な事なのでしょうが、その一部始終を共にしてきた自分にとっては宝物です。この感覚は人生の他のルートに行っていたら絶対に得られなかったものだと思うので、唯一無二の経験をできただけでも大学院に進学して良かったと思います。
    ただ、研究室内外で自分を支えてくれた人や、様々な巡り合わせや幸運がなければ、自分は博士号を取ることは出来なかったと思います。改めて、全ての人や物事に感謝しています。

その他:アカデミア、博士課程に思うこと

  • 日本のアカデミアの未来は明るくあって欲しい
    • 先に述べた通り自分は研究より勉強が好きで、新しい知識を摂取することを無上の快楽と感じています。ただ、自分の大好きな「知識」も研究者たちの血の滲む努力の上に築かれているものなので、自分が去った道とは言え日本の研究及びそれに携わる人たちの未来は明るくあって欲しいと思います。
  • 博士課程に進む人が増えないことには研究界隈の未来は暗いと考える
    • 「日本の研究が栄えて欲しい」という漠然な願いですが、それが叶うにはまず研究に従事する人の数が増えていくことが必須です。そのためには、「研究者の卵」たる博士学生の数が増えることが肝要だと思っています。
    • 「卵」は全て研究者になるとは限らないし、その必要はないと考えています。まず大事なのは、研究者、非研究者問わず、博士号持ちの人が増えて、社会で評価されることだと思っています。
  • 博士課程に進む人を少しでも増やすには?
    • 上で書いたようなことを実現するために個人単位でできることは少ないと思っています。
    • 自分が出来ることがあるとしたら、「流石は博士」と言われるよう頑張って、少しでも「博士人材」の評価を上げること位でしょうか。
    • また、研究の道に進まなくても人生エンジョイしてる博士がいることを身をもって示すことで、博士に進む勇気が持てない人の後押しをすることもできるかもしれません。
      • 「博士課程=研究の道」は茨の道で将来真っ暗と言われがちですが、博士進学も悪いことばかりじゃないし、途中で研究の道を諦めても柔軟なキャリア選択が可能であるという事を改めて強調しておきたいです。(もっとも、自分は環境や運に恵まれていたというのもありますが)

終わりに

随分長くなってしまいました。

実はこの記事は去年の4月ごろ(入社直後)に書き上げる予定だったのですが、新生活のあれやこれやでなんだかんだ忙しく、内容もヘビーなため書いては消し書いては消しを繰り返していたので、気がつけば年が明けていました。恐ろしいね。

ある種この記事は自分の人生直近5年間の総決算的な内容なので、書いていく内に様々な思いが篭ってきてしまい、記事の方向があっちこっちに行ってしまいました。そんなカオスな状態の記事を改めて再構成する際に、この記事を執筆する「目的」を明確化しました。それが以下です。

  • 慌ただしい中での選択(=ITエンジニアになったこと)だったので、自分の中で正当性を言語化できていなかったモヤモヤを解消したい
  • 将来の自分(や悩める学生たち)のために、現時点で自分が行った意思決定とその時の心情を、忘れる前に形にしておく
  • 自分の中で5年間もいた環境にある種の「ケジメ」をつけて、新しい環境で歩み出す力を得るため
  • 博士課程に進学して、アカデミア以外で「成功」したモデルケースを紹介したい

↑この「目的」をベースに今まで書き溜めた乱文を整理することで、やっとこの記事を書き上げることができました。

見て分かる通り、ある程度の読者は想定しつつも、基本的には自分のための記事です。自分の感情や記憶などを整理して、次のステップに歩み出すために書いたものです。

そのため、きっと多くの人にとっては素通りするような情報で、どうでもいいものかもしれません。ですが、自分はこの記事を書いて良かったと思います。様々な思いを文章化することでかなりスッキリしました。

また、お恥ずかしい話ですが、「他の人から見たらきっと些細な事でも、その一部始終を共にしてきた自分にとっては宝物です。」という一節を書いている時に、記事を書きながら少し涙が出てしまいました。辛いことも楽しいことも沢山あった5年間でしたが、長い時間をかけて文章化することで、様々な思いをようやく消化して飲み込むことができた気がしています。去年の4月頃からこの記事のことがずっと頭の片隅にありモヤモヤしていましたが、この記事を書き上げたことでようやく本当の意味で新たな一歩を踏み出せたような気がしています。

冒頭に述べた通り自己満足の記事なので非公開にしようとも思いましたが、一応は他の人が読むことも想定して書いた記事なので、思い切って公開してみようと思います。

罷り間違ってもし万が一この記事から力をもらえるような人(特に博士進学を迷っている人)がいたら、嬉しく思います。

本記事は以上になります。1.2万字を超える異常なボリュームでしたが、読んでくださってありがとうございました。