caminote

caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

春風とともにやってくる、ロボと魁夷(かいい)と藤の花。

暖かくなったかと思えば寒くなり、からっと晴れた日が続いたかと思えば突然思い出したようにしとしとと雨が降りしきる。そんな不安定な日が続くのも、春らしいと言えばそうなのかもしれない。春といえば、HAL。そして、春風とともにやってくるピンクのあいつ。カービィ

2日後の4/27に24歳の誕生日を迎えるとともに、その翌日には最新作ロボボプラネットが発売となる。ファンとしては待ち遠しい限りである。

とは言いつつ、諸々の事情により財布の中身はすっからかん。少しでも安くロボボプラネットを買いたい。というわけで都内の家電量販店をハシゴすることに。

結局どこも値段は大差なかったが、普通に定価で買うより少し安かった。安心してソフトを予約した後、店頭にあるデモ機で体験版をプレイしてみた。

某日に秋葉でやっていた体験会と中身は一緒のようで、通常のステージ(1ー1)とロボボステージ(1ー2)を遊ぶことができた。既に知っている内容であるにも関わらずつい夢中になってプレイしてしまったのは快適な操作性故か。

改めてプレイすると細かいモーションも凝っていることに気づく。特に、ロボボが専用の扉を開ける時のモーションは印象に残った。通常の扉が上に星のついたただの黒い穴であるのに対し、ロボボ専用の扉はシャッターのような見た目だった。そしてロボボがその扉を開ける時まるでうんしょ、とかけ声をかけているように一呼吸おいてシャッターを下から持ち上げるのだ。この細やかな仕草に、ロボボという無機質な物体に愛着を持たせる工夫がなされていると感じた。

体験版の話はさておき、今度は書店を探して今月のニンドリを少し立ち読みしようと考えた。というのも、今月のニンドリではカービィ特集が組まれているからだ。ネットの情報によると、開発秘話や公式サトではあかされていない情報が多く掲載されているらしい。



というわけで、そのままふらふらと辺りをさまよっていると紀伊国屋書店が見えてきた。店先に何やら目を引く看板があると思えば、そこにはなんと「東山魁夷」の文字が。どうやら、偶然にも東山魁夷展をやっていたらしい。

誘われるままに入店すると、書店スペースの一角にアートギャラリーのようなものがあった。展示と販売を兼ねているようで、絵画の下には値段が書いてあった。が、ロボボプラネットを買うのにさえ困っている自分が買えるわけもない。無意味な数字の羅列はかえって興ざめするだけなので、無意識のうちに目に入れないようにしていた。



ところで、東山魁夷。この名は個人的には印象深い名なのだが、あまり一般には知られていないと思う。彼は20世紀に活躍した横浜出身の日本人画家である。信州の美しい自然の風景を描いたことで知られており、長野県の信濃美術館に東山魁夷館が併設されているほどだ。
私は個人的な理由から信州の地域と縁が深く、強く惹かれるものを感じている。そのため同じく信州に心惹かれる東山魁夷に、どこか共感するところがある。そのため、私は彼の作品に注目している。店頭で東山魁夷の名に誘われたのもそのためだ。

展示されていた作品はどれもすばらしく、東山の独特の筆致で美しく幻想的な自然の風景が描かれていた。展示されていた作品はどれも素晴らしかったのだが、特に目を引いたのは意外にも展示されていた作品ではなかった。

展示スペースの片隅に、東山魁夷の作品を納めた書籍がおいてあった。何気なくぱらぱらと頁をめくっていると、ある頁でふと手が止まった。その頁に掲載されていた作品は『静唱』。湖畔に自生する樹木を描いた作品だ。樹々には雪が降りつもっており、絵全体の雰囲気も白くぼやけていてまるで霧がかっているようだった。言葉にしてしまえばなんてことのない、雪国の冬の一景色に過ぎないのかもしれない。しかし、私はそこに言いようのない魅力を感じた。その魅力の正体は、「静けさ」だった。そう、その絵はただひたすらに静かだったのだ。音も吸い込むような静謐な雰囲気。それでいて、どこかぬくもりのこもった暖かさも感じられた。それは、作者である東山魁夷の、美しい風景に対する愛のこもったまなざしの反映なのかもしれない。

ちなみに、この展示では東山魁夷以外にも平山郁夫をはじめとした他の画家たちも名を連ねていた。荒涼とした砂漠の風景を描く平山郁夫の作風は東山魁夷と好対象をなしており、展示の質をグレードアップするのに貢献していた。



結局本来の目的であるニンドリの立ち読みはビニール包装に阻まれてしまったが、東山魁夷の作品に巡り会えて結果オーライだった。満足した気分で店を出ると、まだ日は沈んでおらず家に帰るにはまだ早い時間であることに気づいた。そこで、以前から気になっていた亀戸天神という所に行くことにした。

亀戸天神とは江東区にある神社で、学問の神様として名高い菅原道真を祭っていることで有名である。また4月下旬から咲き始める藤が綺麗なことでも知られている。今回の目当ては後者。(前者の恩恵にもあずかりたいけどね……。)

亀戸天神の最寄り駅である亀戸駅、および錦糸町駅までは総武線で一本。およそ25分ほどと近からず遠からずといった距離。電車内ではこの記事の前半部分を書いていた。

改札口にて早速藤祭りの文字を見かけるものの、よく見たら駅のデパートのセールか何かだった。とは言え、亀戸天神の藤がこの地域を象徴するものであることが伺えた。駅からは徒歩でおよそ15分ほど。歩いている最中も藤祭りの宣伝を散見する。

亀戸神社にたどり着くと、まずはじめに昼間にやっていたであろう屋台に迎え入れられた。ただその時間はもうお祭りは終わっていたらしく、屋台のほとんどは営業をやめていた。精々ラムネを売っていたくらい。

境内を進むと、早速藤棚が見えてくる。前評判の通りちゃんとライトアップされていたが、照明は思ったよりも手抜きだった。と思ったのは、自分で勝手に「色付きの特殊な照明を使って幻想的に藤を照らし出しているのだろうな」と思いこんでいたからだ。実際のライトアップは、ただ白色の蛍光灯で藤を照らしているだけだった。おまけに、藤棚そのものも想像より地味でこじんまりとしていた。
第一印象はあまりよろしくなかったのだが、境内をぶらぶら歩いてその場にたたずんでいる内に徐々に藤を見る目も変わっていった。

まず幸いなことに、ほとんど風が吹いていなかったのだ。その上気温も暑すぎず寒すぎず、まさに適温と呼ぶにふさわしい心地よい陽気だった。そのおかげで、人気がまばらだったこともあってか境内は静かで安らぐ雰囲気で満ちていた。そんな気分で再び藤を眺めてみると、また違った感想が浮かんできた。

確かに藤は地味だ。ちょうど同じ季節に見頃を迎えるツツジと比べると花のサイズは随分と小さいし、色もなんだかパッとしない。でもそんな出しゃばり過ぎずひっそりとたたずむ藤の姿は、どこか安らぎを与えてくれるのだ。その地味な色合いも、元は古来より日本人に愛されてきた伝統的な和の色。ギラギラと輝く原色の広告や黒と灰を基調としたコンクリートの世界に囲まれていると、こうした色彩を保ちながら主張しすぎない控えめな色にやけに癒される。

そんなことを考えながらぼんやりと藤を眺めていると、どこからか鯉の跳ねる音が。藤棚の真下は池になっているのだ。静かな境内に響きわたるその音は、どこかワビサビを感じさせるものだった。

じっくりと静かな安らぎの世界を堪能した後、お賽銭を携えて参拝し神社を後にした。