caminote

caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

なんかふと思い立って鶴を折ってみた話。

先日、広島に旅行に行きました。

その時はじめて知ったのですが、原爆ドームの近くに「おりづるタワー」なる新しい綺麗な建物が建っていました。

www.orizurutower.jp

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左、原爆ドーム。右、おりづるタワー。

 

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積み重なる鶴たち。施設外壁のディスプレイにて撮影。

 

オタクなので折り鶴で真っ先にコードギアスを思い浮かべましたが、次に思い浮かんだのはあまり嬉しくないことでした。

というのも、僕、鶴折れないんです。

 

幼少期の自分は周囲の子供たちと比べて本当にできないことばかりで、靴紐が結べないとか帰り道が覚えられないとか(今でも方向音痴)もう枚挙に暇がありませんでした。

で、その1つが折り紙だったのです。

靴紐とかは大人になってから結ぶ機会いくらでもあるので改善されましたが、折り紙なんて子供の頃にやらなかったらもうやる機会ないでしょう。

そんなわけで、子供の頃に苦手意識を持ったままずっと折り紙から縁遠い生活を送ってきていたのです。

 

そんなところに、この「おりづるタワー」。

結局このタワーは1階のお土産コーナーを軽く見て回っただけで終わったのですが、折り鶴のコンプレックスはしばらく尾を引きました。

 

そして今日、ふと思い立って折り鶴に挑戦してみたというわけです。

caminoは手先が不器用なうえ飲み込みも悪いので、とても成人とは思えないほどの苦戦ぶりを見せました。以下がその様子です。

 

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1号機。失敗作。背中の形がおかしい。

 

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背中が異様に発達した新種の鶴(2号機)。どんな業を背負えばこんな異形の者が生まれてしまうのか。

 

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3号機。頭の形がぐちゃぐちゃ。もはや存在が罰ゲーム。

 

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4号機。ようやくまともになった。

 

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集合写真。みんな仲良し。

 

そんなこんなで、4回目でやっとそれらしきものを折ることができました。

めでたしめでたし。

 

【与太話】

今回鶴を折るにあたって、当然鶴の折り方なんて覚えているはずもなくググったのですが、実はその初っ端でつまづきかけました。

折り方の手順の最初で、「折り紙を半分に折る」とあったのです。

普通はこれでつまづくことはないのでしょうが、僕はちょっとウッときてしまいました。

 

何って、どう半分に折るかが明示されていないことに異様な嫌悪感を覚えたのです。

対角線にそって半分に折るのか、向かい合う辺の中点同士を結んだ線で折るのか判別がつかなかったのです。

 

幸いそのページには写真があったのでことなきを得ました。

しかし、折れるか折れないかは僕にとっては大した問題ではありませんでした。

こういう手順の説明において多義的な解釈が可能な文章が使われていたことが、何故か許せなかったのです。

その一方で、同時に(流石に融通効かな過ぎだろ、アスペかよ……。というかたかが折り紙になに文句言ってるんだよ……)という自分へのツッコミも思い浮かびました。

 

普段表に出しているのは、おそらくこの後者です。常識的な振る舞いをしようとする、外向きの顔です。普段はその外向きの顔だけで暮らしてる、と思います。

しかし、折り紙の折り方で混乱しキレるような自分が内側にいること、そしてそれが幼少期からの自分の本質なのではないかということを、こういう日常の何気ない折に自覚させられてしまいます。

この本質の自分はあまりに社会適合性が低いためか意識的にも無意識的にも常に抑圧していると思うのですが、今回みたいにヒョイっと表に出てこられるとちょっと困ってしまいますね。

 

なんてことを、思ったりしたのでした。