ゼノブレイド7周年おめでとうシリーズ第4弾。
今回は「キャラ」に注目しながらゼノブレイドの「物語」の魅力について読み解いて行こうと思います。また「演出」の魅力についても触れていきたいと思います。
今回はネタバレ全開&クリアして前提知識がある人向けに書くので、そうでない方は今すぐブラウザバックしてください。
ネタバレ全開ということもあって、この記事を書くときにどういう観点から書くかかなり頭を悩ませました。何しろゼノブレイドには魅力的なキャラが敵味方ともに多く、どこから話し始めればいいかさっぱり方針が定まりませんでした。
上手い方法が思いつかない以上、愚直に物語の時系列に沿ってストーリーを追いつつ要所要所で魅力を感じたところを挙げ連ねるような書き方をする他ないな、という結論に至りました。
物語の章の分け方などは『モナドアーカイブス』を参考にしています。
プロローグ「退けば未来は掴めない」
以前の記事にもこのプロローグの良さにも触れましたが、ゼノブレイドはこの冒頭からして引き込む力がすごいと思います。
巨神と機神のスケールの大きい戦い、シュルクの口から静かに語られる神話。「幾万の昼と夜を経た……」という言い回しも渋くて深みがあります。
巨神と機神の戦い。ゼノブレイドを象徴するシーン。
そして下村氏の手がける「プロローグA」に乗せて子気味よく進行する熱い漢達の会話劇。
「退かなきゃ死ぬが、退けば未来は掴めない。なら掴もうぜ、未来」
今後幾度か出て来るあの名言が初っ端から飛び出す。プロローグからこの飛ばしっぷりはもう痺れますね。この時点でグイグイとダンバンさんのキャラに引き込まれていきます。
「その年でもう老眼かディクソン?」「イノシシには言葉が通じないか」
などなどもうコテコテにクサい、カッコイイセリフが次々飛び出します。
一方で明らかにそのノリについていけていないムムカ。まぁぶっちゃけあの2人が戦闘狂なだけでムムカのリアクションの方が普通だとは思いますが……
ダンバンさんみたく強靭な意志でもって敵に立ち向かえる「英雄」もいれば、恐怖に耐えられず挙句手柄を横取りしようとまでする「弱い人間」もいるのだ、という重層的な描写がまた味わい深いです。
一方でディクソン、この時点ではすごい頼れるオッサン、って感じだったんだけどなぁ……
戦闘チュートリアルが終わって「プロローグB」が流れてからの展開は本当に見事という他ありません。激しい戦闘シーン、倒せど倒せどキリがなく、挙句の果てにやって来るタイタンスタンプさん、そしてダンバンさんの咆哮とともにぐわっと引くカメラ、エルト海やマクナ原生林を映し、そして「Xenoblade」。シビれるぅ。
こんなにかっこいいタイトルの出方をするゲームを他に知らない。
ここで映る場所に後々実際に行くことができるというのがまたいいですよね。プロローグの大剣の渓谷も含めて。ランドマーク「モナドの爪痕」を見つけた時は(ああ、あのプロローグの!)とすごく興奮したのを覚えています。
第1章「今日のは自信作なんだから」
この章のイベントではシュルク、ライン、フィオルンという幼馴染3人組のキャラが上手く描かれていると思います。
初っ端の戦闘チュートリアルのイベントからして、シュルクの少し天然ながらも科学者としての好奇心(実は中にいたザンザが元科学者であったことも影響してるのかも?)の強い性格と、ラインの面倒見のいい性格が伺い知れていいですね。
特にシュルクの科学者気質は、モナドが暴走した時に機械の心配ばっかりしてる描写や、エーテルシリンダーのイベントでの「誰かが過去に生み出した技術ならそれは幻じゃない、僕らにもいつかきっと手が届くはずだ」というセリフに上手く反映されています。こういう科学的好奇心の強い主人公って中々珍しいですよね。個人的な話になりますが、caminoは理系であることもあってシュルクの好奇心に強く共感できました。
ラインは冒頭のイベントでシュルクの危機に駆けつけてくれる頼もしさを見せつつも、安易にモナドに触るおっちょこちょいなところや、それをシュルクに叱られてシュンとしつつも素直に謝るシーンの辺りで分かりやすく性格を掴めますね。この時点でバカキャラの片鱗が……
フィオルンもシュルクに好意を寄せつつも、自分の心配をしてくれないと不機嫌になったり、でもシュルクやダンバンの身を案じたりと優しい一面があったり。感情豊かで明るい「年相応の普通の女の子」ながらも、単なるテンプレキャラに堕すことなく意志を持った一人の人間としてしっかり描かれているのがいいと思います。初見時はちょっとヒステリックだなーとか思ってたけど
また、3人の掛け合いから本当に仲がいいんだなーということが随所で分かるのがまたいいです。「キズナ」ですね。キズナトークや戦闘でのチェインアタックなどがよりそのキズナを強固にしていきます。そしてそのキズナが深くなればなるほど……
第2章「今度は俺たちが護る番だぜ!」
この章はコロニー9襲撃からコロニー9出発まで。
ラインの「信用ねぇな、俺」からの「今度は信用されてるみたいだな」の流れとか、窮地に立たされたシュルクの前にモナドを携え颯爽と現れるダンバンさんの頼もしさとか、その背後で鳴るBGMの緊迫感やら戦闘シーンのカットのキレだとか、まぁたくさん見所のある章なのですが、やっぱり一番の山場は黒のフェイス、そしてフィオルンの死亡でしょう。また初めて「敵との対峙」が流れるイベントでもあります。
フィオルンに迫る黒い顔つき。まさに「敵との対峙」。
未来が分かっていながらそれを止められなかったシュルクの無念、血で染まる爪により間接的に表現されるフィオルンの死など、重苦しくも巧い表現が続きます。特にこの時のシュルクの無念は、後にオダマさんを救うに到るまでの成長の糧となる重要なものです。
血に染まる爪
個人的には、死の瞬間の描写もそうですがどちらかというとその後の各キャラの反応が実に見事に丁寧に描かれていると感じました。
具体的には清田氏の「悲しみ」に乗せて語られる、
「フィオルンがくれた命と思って大切にしてやってくれ」
「わかろうと思います」
「俺もずっとわかろうとしている途中だ」
「2人の僕がいる」
「シュルクの中に住み着いた俺なんじゃないか?」
「どうりで声がでかいわけだ」
この辺のやり取りですね。
フィオルンの死を引きずってクヨクヨウジウジし過ぎず、かと言って軽くなり過ぎずに身近な人間が死んだ悲しみもしっかり描写する、その塩梅が絶妙です。
その表現の巧さはシュルクとラインが笑うところでピークに達していると思います。この笑い声、ちょっと空元気で無理して笑っているようにも取れる声の演技になっています。そうやって無理してでも悲しさを振り払い、闘志を滾らせ、
「いつ出発する?」
「もちろん今」
のやり取り。そしてその2人の背中を見ながら
「死に急ぐなよ小僧ども」
「そして共に掴もうぜ」
「未来を」
のダンバンさん。
「未来を」のところでカメラが引き、曲もちょうど終わるタイミングになっているのが映像的にもグッドです。
度々出てくる「未来を掴む」というフレーズ。それを可能にするのは、モナドの見せる未来視と人の意志の力なのかもしれない。
第3章から第5章 (コロニー6組)
序盤はストーリー的にも見所的にもかなり密度が高かったため相応の文字数を割かざるを得ませんでしたが、ここからは少し飛び飛びで話します。
3章から5章は、ディクソンがモナドを発見する過去の回想シーンからゾードを撃破するところまで。この辺はカルナ、ジュジュ、オダマのコロニー6組がメインとなる話です。
この辺のストーリーはやはりモナドに新しい力が宿り始め、モナドの力で望まない未来を変えられるようになっていくシュルクの成長が見所でしょう。
勝手な行動をしたジュジュも反省し最終的にコロニー6の復興に勤めたり、初めはシュルクに懐疑的だったオダマさんもシュルクを認め、そして心強い味方カルナが同行してくれるようになる。
旅と共にシュルクは成長し、仲間も増えていく。これぞRPGの醍醐味というものです。
さてこの次の第6章以降は、ダンバンさんが復帰しメリアとリキが加入してパーティメンバーが一気に増えます。なので「キャラ」の魅力という点では一番重要な箇所に差し掛かります。また物語的にも中盤に入り、話が一気に面白くなっていきます。
要するにこれからが一番面白いところなのですが、その面白さが故に書いていたらあまりにも長くなりすぎたのでこの記事は一旦ここで切ります。記事タイトルに(上)と記載したのもそのためです。予定としては、
- 中:第6章から第10章。新規加入メンバーであるダンバン、リキ、メリアに関するイベントを通じて彼らの魅力に迫ります。物語的には前半のクライマックスと言えるヴァラク雪山での黒い顔つきとの死闘で幕を閉じます。
- 下:第11章から第17章、エピローグまで。上中でパーティーメンバーは出揃ったので、ここからは物語や大きなテーマ性に注目して書いていきたいと思います。一方で、キャラという視点では敵方の大将であるエギルが非常に魅力的に描かれており、目が離せません。
という内容で書いていきたいと思います。
【追記(06.10.18)】
内容の区切りの良さ故、「中」は第6章から第9章になりました。第9章の監獄島でのイベントがあまりにも濃すぎるんじゃ……
にしても、前回からだいぶ間が空いてしまいました。
その間にまとめ記事とかも作ったので是非ご覧ください。
それではまた次回!