caminote

caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

院試を受けたお話

最近の記事で散々もったいつけてた「引きこもり生活」。

今回はそのお話をします。

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caminote.hateblo.jp

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「最近の記事」。

一言で言うと引きこもってる間は院試のための勉強をしてたのですが、そこに到るまでに本当に色々なことがあったため一度その過程を(自分のための振り返りも兼ねて)したためてみようと思います。

もし院試を受けようとする人の助けになれば幸いです。(自分も院試体験談的なブログに助けられたので)

研究室配属

理系でない方のためにも一応ご説明。しかしまぁ理系と言えど色々なところがあるので一概には言えませんが、とりあえずcamino(理系、生物系)の場合がどうだったかを記します。

自分の学科では大体3年の終わり頃になると「研究室配属」と言う一大イベントがあります。

大学1年から3年は文系と同じく座学を中心として授業を受けるのが学生生活の中心ですが、大学4年からは一転して生活の中心が研究室に移ります。しかも研究室には院2年までの3年間ずっと所属することになるため、この研究室配属は学生生活の後半を大きく決定づけるものになります。

※繰り返しになりますがこの辺の感覚は大学や学科によって大きく違うと思います。少なくとも自分のところは

  • ほとんどの人が院に進学する
  • 大学から大学院に移る時、ほとんどの場合研究室は変えない

という状態なので、研究室配属について上記のような認識になっています。

研究室に配属すると言っても1つの学科にも色々な研究室があります。研究テーマから教授の人柄など様々な要素において異なるため、学生は何に重きを置いて研究室を選ぶかでかなり頭を悩ますことになります。しかもタチの悪いことに研究室ごとに受け入れ人数の上限が存在します。なので当然、人気な研究室には受け入れ人数以上の学生が殺到し定員オーバーになります。定員オーバーになった場合の処遇は大学や学科によって様々でしょうが、自分のところは抽選でした。一部成績上位者は優先的に研究室を選ぶことができるのですが、ほとんどの場合人気のある研究室に入れるかどうかは完全にで決まります。そんな状況であるため配属前は様々な情報が飛び交い、学生たちは皆ピリピリしていました。

研究室落選(1月頃)

caminoはこの研究室配属の抽選に落ちて、希望の研究室に行くことができませんでした。これにはかなりショックを受けました。

ですが、やっぱり自分のやりたい研究を諦められず思い切って相談してみたところ、院試を受ければ大学院からは希望の研究室に行けないことはない(この辺は色々曖昧な所はありましたが)という話だったので、大学院からは違う研究室に進学することにしました。 

極端なことを言うと、1年で研究室を変え全く違う分野の研究室に行くということはその1年を丸々無駄にすることを意味します。それ故に、よほどこだわりがない限りは研究室を変更しようという学生はほとんどいません(そもそも気楽に変更できてしまっては受け入れ人数を設定した意味がなくなる)。なのでかなり悩みましたが、最終的にはそのリスクを抱えてでも研究室を変更しようという決断を下しました。

これが全ての事の発端で、時期としては今年の1月ごろでした。

他大受験の決意(2月)

そんな折、配属された研究室の教授から「内部受験だけじゃなく他の大学を受けてみてはどうか?」という提案をされました。その話をされるまでは他大の「他」の字も考えていなかったのですが、言われてみると院試を受けて研究室を変えることに変わりはないのだから内外の別はありません。

そんなわけで視野を広げて外部の大学を受験しようと思い立ったのが2月中頃でした。サクッと書きましたが、他大受験の決意に至るまでもかなりの葛藤がありました。いきなり新しい環境に入ってやっていけるのだろうか、院試は内部を受けるよりも難しいだろうしかなり勉強しなきゃいけないだろう、受験料もかかりそうだ、エトセトラエトセトラ。正直言うと先の提案を受けた時、最初はかなり否定的に考えていました。ですが、様々な葛藤のすえ最終的には他大を受験する運びとなりました。

そんなわけで、2月の終わり頃には改めて教授に他大受験の許可を取り、外部を本命に内部を滑り止めとして受験するという大きな方針が決まりました。

院試の調査あれこれ(2月,3月)

院試を受けることを決定してからというものの、しばらくの間はひたすら調べ物をしていました。院試を受ける人はどういう過程を経ていつ頃どういうことをしてたのか?どんな勉強をいつ頃からしてたのか?わからないことだらけです。また、研究室の情報も並行して調べていました。自分の場合はやりたい分野が明確だったため、分野名を入れてひたすら検索してました。

そんな中、各大学院ごとに説明会なるものを開催していると言う情報を得ました。早い所だと3月末には開催されていたので、その大学の研究室を調べた上で早速参加しました。

説明会&研究室訪問(3月末-5月)

その後は研究室の情報を集めながらも、ひたすら説明会に行ってました。説明会で話された主な内容は、大学院の特徴や受験の情報(日時や科目)といったものでした。

また教授と直に会って話す機会が得られる場合もあり、人柄の相性のチェックをすることもできました。また地方の大学でも都内で説明会が開催されることがあり、しかも教授が直々に来てくださったこともありました。 

説明会では話せなかった場合でも、連絡を取って研究室訪問に行ったりしました。見知らぬ教授とメールで連絡を取り合って日程を調整するのはかなり緊張し神経を使いました。

もちろんこれらは、配属先での通常の研究活動やウェブでの研究室調査と並行しながらやっていました。かなり目まぐるしく忙しかった日々であったように記憶しています。

内部受験手続き(6月上旬)

6月頭には内部受験の手続きがありました。が、そこで一つイレギュラーな事件が起こりました。

と言うのも、このタイミングになってまさかの履修登録忘れが発覚したのです。忘れた科目、その名も「卒業研究」。てっきり自動で登録されるものだと思ってました。

発覚した時は相当パニクりました。何しろ院試どころかそもそも卒業すらできず留年、という地獄のような状況が眼前まで迫っていたのです。まぁ当然のようにこっぴどく親に叱られ、これで留年になった場合は即就活を始めろ、とまで言われました。

かなり絶望的な状況の中ダメ元で事務所に掛け合ってみたところ、なんと救済措置があるとのこと!それによれば

  • 担当教授が手続きすれば履修登録期間外でも科目の登録は可能(必修科目に限る)
  • その期限は6月中旬まで

とのことでした。期限がかなりギリギリだったので、期限内に気づけてよかったとかなり安心しました。ちなみに登録忘れは内部受験の手続きをする過程で気がついたので、内部受験をしていなかったら気づくことすらできず留年していた可能性もあったと言えます。

その後色々あったものの無事登録は完了。留年は免れました。

履修登録忘れには気をつけよう!

その後は内部受験の手続きの方も滞りなく済み、いよいよ受験の準備を始めることになりました。

内部受験勉強(6月下旬)

内部の受験では、筆記試験と面接試験がありました。面接試験では5分間で大学院に入ってからの研究計画をプレゼンする必要があり、配点としてもこちらの方に比重が置かれているという噂でした。

この位の時期からは院試の勉強のためという名目のもとに休暇をもらうことができたため、ようやく本腰を入れて院試の準備に取り掛かることになります。と言っても先述の通り、プレゼンがメインであったため勉強よりは資料の作成や発表の練習を主にしていました。

また、受験する大学及び受入先の研究室を決めたのもこの時期でした。結局外部の受験校は2つに絞りました。受験する研究室の教授にはそれぞれ連絡を取り、また各大学の第一志望の研究室の教授には直接挨拶しに行ったため、日程調整や遠征などで色々大変でした。

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↑実はこの時、遠征に行っていたのです

正直言うと、内部受験へのモチベが低かった上にプレゼンやら外部受験の連絡やら色々やることがあって勉強には集中できず、挙句「気分転換」と称ししばしば友達と遊んだりしてしまったため、勉強はほとんどできませんでした。さすがに反省して、7月からは人と会う機会も意図的に減らしました。

内部の受験とその後(7月)

さて以上の理由からガタガタな状態で7月頭に内部の受験を迎えることになりました。特にプレゼンはかなり酷い状態だったので本気で落ちたと思ってましたが、予想に反し無事合格していました。一安心。

結果が分かったのは7月中旬でしたが、それまでは外部の大学の受験の手続きをしていました。基本的には願書に必要事項を記入するだけでしたが、片方の大学はそれだけではなく志望動機を書かなければいけませんでした。しかもA4用紙1枚を丸々使うくらいの大きさです。これを書くのもまた一苦労でした。それなりの長さの文章なので第三者に添削してもらおうと思っていたのですが、結局そんな暇さえなく〆切を迎えギリギリの提出。早め早めにやっておくべきだったと後悔しました。

無事願書の提出を済ませ後は勉強するだけ……と思いきや、またまた一波乱。詳細は割愛しますが諸事情あって、なんと受験日に別の用事が重なる大悲劇が発生したのです。これには頭を抱えました。不幸中の幸いで第一志望の大学ではなかったものの、手続きは済ませた後なので受験料は返ってこないし何より先方に申し訳が立たず、かなり落ち込んでました。

外部受験(8月)

8月に入ってからは本当に何もなく、やっと本気で勉強できる状態になりました。ここに至るまでにあまりにも多くの事件が起こりすぎたため、メンタルが息切れ寸前な状態でした。

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と、言うわけで行ったのがこれ。温泉でリフレッシュ!

その後はずっと引きこもって、いよいよ8月下旬に控えた試験に向け猛勉強。試験科目は生物と英語でした。なのでほとんどの時間 THE CELLを読んでまとめては章末問題を解く、と言うことをしていました。ほとんど人とも会わずにずっと引きこもっていたので流石に精神的にきついものがありましたが、一方でTHE CELLが極めてよくできた本であったため内容も面白く、濃密で楽しい時間を過ごすことができました。

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常時こんなテンション。

CELLの魅力に取り憑かれていたこともあって英語(TOEFL ITP)や過去問の勉強はほとんど直前(1週間前か、下手すれば3日前とかだったかも)に始めました。英語に至ってはほぼ問題形式に慣れるだけ、という程度しかしていません。

※ちなみにTHE CELLというのは生物学分野で代表的な教科書で、これの内容さえ網羅していれば大体どこの大学でも通用すると言われている、いわば大学生物のバイブルのような本です。

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こんな表紙。今度第6版が出るらいしいです。

いよいよ試験当日、そしてその後(8月下旬)

筆記試験

当日は特にトラブルもなく、存分に結果を出し切ることができました。特筆すべきことはないですね。

その日は試験が終わったあと頭痛が止まらなくて大変でしたが、それでも翌日には即座に研究室に復帰、再び実験の日々へと舞い戻って行きました。にしてもインターバルを置かずにいきなり生活が勉強モードから実験モードへと切り替わったため、体がそれについてこれなかったのか試験後の頭痛は一向に治る気配を見せませんでした。頭の回転もかなり鈍くなっており、「リハビリ」とでも呼べる時期が数日間続きました。

3日後には筆記試験を通ったかどうかの発表がありました。筆記のあと面接の試験もあるのですが、筆記さえ通ればほとんどの人は面接も通るため、この時は本物の結果発表なみに緊張していました。結果はウェブ上で公開されましたが、無事番号を見つけ歓喜すると言うよりはひたすらホッとしたのを覚えています。

面接試験

筆記試験から1週間後に面接試験がありましたが、これは拍子抜けするくらいあっさりしたものでした。あまりにもあっさりしていたので試験後即座にどういう流れだったのかを書き出していました(試験後もすぐには帰れずしばらく待機だったので)。折角なのでそれをそのまま写します。

まずは司会の先生(試験監督をやってた人)から
「研究室訪問は済ませたか、他大の受験状況と合格時の進学先は?」
次に第一志望の担当の先生から通り一遍の質問
・筆記試験の出来は?→生物の記述が自信ない→どういう風にできなかったの?→具体的に答える
・今やってる研究は?(ごく簡単に)
・研究室入ってからやりたい研究は?
の3つ。
最初以外、答えた内容に対しさらに質問が来ることはなかった。
 
次に司会の先生から他の先生に質問があるかを振られ、質問は皆無。
それで、最後に司会の先生から「早いですがこれで終わりです。講堂で待機しててください」で、終わり。

本当にこれだけ。所要時間、体感5分以下。

合格発表(9月中旬)

いくら筆記が通ってれば大丈夫と言われてるとはいえ、やはり正式な通達が来るまでは不安は募るものです。やきもきしながら待ち続け、ようやく先週になって結果が郵送されてきました。無事第一志望の研究室に合格してました。めでたしめでたし。

以上です。本当に色々ありましたが、最終的には目標を達成できてよかったです。

今回話を書くにあたってディティールを端折ったところもありますが、これ以上長くなってもしょうがないので致し方なしという感じです。何かの折にでも紹介できたらいいな程度の感覚でいます。

 

【追記】

学生時代をどう過ごすか

ささやかながら追記をば。これは研究室探しをしている時に見つけたもので、感銘を受けました。

研究室選びにおける大まかな心構えを決める上で非常に参考になりました。