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caminoのnoteでcaminote(カミノート)。日々の思いをつらつらと。

きみにキメた感想

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きみにきめた。実は初日に見てきました。

随分遅くなりましたが感想書きます。

ネタバレ上等な内容なのでまだ見てない人はすぐにブラウザバックして劇場へ行ってください。

 

マーシャドー

この映画で、個人的に一番面白かったのは、「マーシャドーの立ち位置」です。

最初にマーシャドーのビジュアル見たとき、この可愛らしい感じは味方ポジでさらわれて助ける感じなんだろーなーどうせまた喋るんだろうなーとか思ってました。

 

ですが実際は物言わぬ無慈悲な戦闘マシーンでしたね。これには驚かされました。

ピカチュウとの戦闘シーンも、ピカチュウはいつも自分より体格の大きいポケモンと戦ってばかりなので、ピカチュウが同じ大きさの相手とガチでやりあうっていう状況がすでに新鮮でした。作画の動きもキレがあって、今までにない展開だっただけにどう転ぶか全然読めないこともあり手に汗握る名バトルでした。

 

マーシャドーが一切喋らないどころか、意思表示をするようなシーンすらほとんどなく何考えてるかわからない得体の知れなさがあったのもよかったと思います。

あの独特の囁き声のような声も魅力的でした。まるで冥界の住人たちの怨嗟の声のような……?最初に聞いた時そんなイメージを持ってしまったため、ゴーストタイプであることもあって底知れない恐ろしさを感じました。

きわめつけはサトシに見せたあの夢。あれはマーシャドーの力によるものなのか(描写的におそらくそうだろうけど作中で特に断定はされていない)、だとしたら何の目的でやっているのか?(ホウオウに会うに値する人間なのか試練を与えた?それとも純粋に嫌がらせ?)

兎にも角にもこんな行動原理も能力もまるで得体の知れない存在が、ただただ敵となり立ちはだかる、という今までのポケモンには中々ない展開が先の読めなさを産み、いいスパイスになっていたと思います。

(封切り前は初代の映画なのにサンムーンの幻なんてちぐはぐじゃんとか思っててごめんなさい)

 

ポケモンのない世界

そして、マーシャドーが見せた夢の描写も素晴らしかったです。

夢のシーンの一番最初で、実際の世界ではフシギダネヒトカゲゼニガメの映っていたポスターがただの緑、赤、青の車のポスターになっていたシーンは見た瞬間ゾクッとしました

このシーンには二重の怖さがありました。

1つは、サトシがポケモンのいない世界にいたら、ピカチュウと出会っていなかったら……という「怖さ」。もしそんな世界があったら。サトシとピカチュウが紡いできた20年がなかったことになったら。考えるだけでも恐ろしいです。

そしてそこから必然的に考えざるを得ないもう1つの「怖さ」が、この現実の、僕たちの暮らす世界にポケモンがなかったら、という現実世界のifへの問いかけ。

 

生まれた頃からポケモンがあり、もう物心もつかない頃に「ポケットモンスターピカチュウ」をプレイして、それ以来ずっと本編シリーズを欠かすことなくプレイしてきてほぼ毎年映画もずっと見てきたような僕のような人間にとって、「ポケモンが存在しない世界」というifは考えるだけでも身震いするような恐ろしさがあります。

 

大げさかも知れませんが、生まれた頃からポケモンがあってそれをずっと追い続けてきた人間にとって、ポケモンは自分の一部といっても過言ではないほど大きな存在なのです。

たかがゲームやアニメじゃないか、と思う人も多々いるでしょうが、世代真っ只中の僕にとってポケモンは現実世界に大きく影響を与え続けてきたコンテンツです。

小学校(特に低学年)の頃の友達とのコミュニケーションの中心はポケモンでした。開発段階から「交換」をコンセプトとしてきたポケモンは外に広がるゲームです。コミュニケーションツール足り得たのも当然だと思います。

中高の頃も一緒にポケモン映画を見にいったり、BWを発売日に買って友達の家でプレイする、なんてこともしました。BW2やXYの時はちょうど受験期で、夢中になって勉強をすっぽかしたり、それで怒られたりなんてとても高校生とは思えないようなアホな真似もしたりしました。

そしてXYからORASの間ぐらいの時期に大学に入り、ポケサーに入り、今までの交友関係からは考えられないほど人間関係の幅が広がりました。そこで果たした様々な出会いはかけがえのないものです。

なんか変な美談っぽくなっちゃいましたが、常にポケモンは僕と歩みを共にし人と繋がる扉であったことは紛れもない事実です。

 

そんな僕にとって、「ポケモンのない世界」は「今までの人生の全否定」と言えてしまうほどの破壊力を持っています。

先述の「車のポスター」を見たとき、上で述べたようなポケモンと共に歩んできた自分の歴史が思い浮かび、それが消し去られるような本能的な恐怖を覚えました。そんな恐怖を味合わせることができるのはポケモン以外にはなく、そんな恐怖を味わうことができるのはポケモンと共に歩んできた僕みたいな人間以外にはいないのです。

そういった点でこの映画はオンリーワンであり、そんな試みをできるのもこの20周年という特別な節目の年であったからこそだと思います。

 

他にも色々

さて今まで述べてきた通り僕がこの映画で一番感銘を受けたのは「マーシャドー」と「ポケモンのない世界の夢」の2点なのですが、この映画は他にも大小様々な見所がありました。

仲間たち

最初は(初代再現なのになんでオリキャラなの?カスミとタケシじゃないの?)と思ってました。ですが、まず描写が適度に丁寧だったのが好感持てました。行動原理や感情を理解できる情報は出しつつ、それを最小限にとどめることで、1.メインであるサトシの物語を邪魔せず、2.適度に想像の余地を残す という二重の効果を産んでいたように思います。その辺の塩梅は絶妙でした。

例えばマコトは「何か問題があってシンオウからカントーに来た」ことは明かされてますが、「どんな問題があったのか?」「家族はどんな人柄なのか?」という「気になるけれども劇中でダラダラと語られたらサトシの物語の邪魔になるような要素」は綺麗に排除されていたのがよかったと思います。

そしてもう1つ、ちゃんとしたオリキャラを使う理由があったからオリキャラを使っていたのがよかったと思います。オリキャラであることが最大限生きるのが先述の「夢のシーン」。「もしもポケモンがいなかったら?」な世界に、たとえばカスミやタケシがいたら視聴者はどう感じるでしょうか?特に、初代世代の人だったら?

当然初代のアニメを見てる人たちにとってはカスミやタケシはれっきとした「ポケモン世界のキャラ」で、ポケモンという存在を想起させるのに十分なアイコンとして機能し得ます。なので、「ポケモンが存在しない世界」の説得力が薄れてしまうと思います。いくらポケモンが存在しない描写をしようとも、カスミやタケシの顔を見るだけで安心してしまう人は結構いるのではないでしょうか。そこで「見慣れないオリキャラ」がサトシの友達として出てくる演出を選んだのだと思います。実際そのせいで「自分しかポケモンを知る人間がいない」世界の存在をリアルに思い浮かべてしまったほどです。先ほど述べたように、夢のシーンであれ程までに孤独感と不安感で心を揺さぶられたのはこの演出の影響もあるのだと思います。

クライマックスシーン

序盤のオニスズメのシーンと対比的に描かれていたあのクライマックスシーンは、もう号泣でした。

(おっ、序盤のオニスズメのシーンをもう一度やるのか?)と思わせてからの、力尽きるピカチュウ、庇うサトシ、なぜボールに入らないんだ!、喋る(ようにサトシには感じられた)ピカチュウ、それでもボールに入れられてしまうピカチュウ、消えるサトシ、帽子だけ落ちてボールの上に落ち、そして出てくることで「サトシピカチュウ」に……という一連の流れが綺麗すぎました。

元のオニスズメのシーンからして泣けるのに、そこに予想外な展開と20周年の節目だからこその演出を上手く織り交ぜ……そりゃあもう涙の一字です。

今までのアニポケのエッセンス

短い上映時間の中で、今までのアニポケで何度もやってきた「お馴染みの要素」をうまく拾っていたような気がします。つまり、

  • 出会いと別れ
    バタフリーを初めアニポケでも多くのポケモンとの出会いと別れがありました。今作ではその「元祖」とも言えるバタフリーでそれを再現していてよかったです。
  • ライバルとの対立と和解
    アニポケにはライバルがつきものです。アニポケでは幾度となく「ポケモンは道具」「弱いポケモンは不要」と主張する敵役が出てきて、サトシと衝突するという展開が繰り返されてきました。個人的にはDPのシンジが一番印象に残ってます。そしてそのライバルとはバトルを通じて分かりあい和解する、というのも「お決まり」。今回はクロスでそれを再現してくれたのがよかったです。まさに「昨日の敵は今日の友」。
  • エンディング
    毎年お馴染みの「ポケットモンスター、縮めてポケモン〜」から始まるフレーズ。でもこれを最後の最後に持って来たのには驚かされました。(そういえばなかったな!)と思いつつ感動の波に襲われました。

情報公開の仕方

地味に情報の出し方も上手かったと思います。

マーシャドーも地味めなデザインであまり推されておらず、公開前は初代のアニメを新しくしたようなカットと謎のオリキャラぐらいしか情報がなく正直地雷臭を感じていました。

公開前の情報が絞られていたぶん、エンテイが出て来たときや「夢の世界」が出て来たとき、そしてマーシャドーが喋らず挙げ句の果てに敵対する展開になったときなど要所要所で驚かされることが多かったです。見終わって初めて広報におけるマーシャドーの扱いにも納得しました。

こんな広報の仕方のせいか、鑑賞前の期待値の低さと鑑賞後の満足感の差が例年になく大きかったです。いい評判も悪い評判もすぐに拡散される時代です。それも考慮に入れた上でやってたのなら相当すごいと思いますが、果たして……?

リアルな描写

細かいところですが、ところどころリアルで結構えぐい描写があったのは面白かったです。具体的には、ルガルガンがクロスに噛み付くシーンやアーボックリザードンの首に巻きつくシーンなど。

 

最後に

こんなところですかね。様々な試みに挑戦しつつも20周年の節目にふさわしい作品に仕上がっていたと思います。

それにしても来年の映画はどんな感じになるのでしょうかねぇ。なにしろ「来年もやる」ということしか明かされませんでしたから。(内容的にも商業的にも今年でポケモン映画終わり、って可能性もあったのでこの情報だけでも価値がありますが)

今後のポケモン映画の展開に期待しつつ、この辺で筆を置くこととします。長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。