ミュシャ展!行ってきました!
展覧会のチラシを額縁に飾ってみたの図。独特な青がいい味を出している。
ミュシャってなーに?って人はこちらを参照あれ。
ミュシャ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
僕自身ミュシャという画家の存在を知らなかったのですが、
「いわゆる『アニメ絵』の始祖的な人」
「二次元の絵を描いてる界隈の中では有名な人」
などと、一般的な西洋画家とは一風変わった評判を聞き、面白そうだと思ったので行ってみました。
実際に見てみると、ミュシャさんには2つの側面があるなと感じました。
1つは、「華やかで洗練されたポスターや装飾パネル(先述のリンク内の記述)」の輪郭のはっきりしたアニメ絵的な側面。
下の一番左、ポストカード買いました。
そしてもう1つは、今回の展示の目玉の「スラブ叙事詩」に代表されるいわゆる西洋画な側面。
とても同じ人が描いてるとは思えなくてただ感心するばかりでした。
ところで、「スラブ叙事詩」の一部は撮影が許可されてました。
どどどどーん、と。
一つ思ったのは、どの絵にも人がたくさん描かれているなぁ、ということ。
当日は土曜であることもあり大変な大盛況で、どの絵にもたくさんの人が群がっていました。遠くからその様子を見てると、なんだか絵の中の群衆と現実の聴衆の境が曖昧になり、絵の中の世界と現実の世界が溶け合い混ざり合っているような不思議な感覚になりました。
絵と現実が混ざるといえばこの方。ミュシャとは全く関係ありません。
妄想に走りすぎました。閑話休題。
全体的な感想としては、まず「スラブ叙事詩」がひたすら大きかった!ということです。展示スペースもかなり広かった上、20枚もの「スラブ叙事詩」を展示していたため広い!でかい!多い!とスケール感の大きさに圧倒されるばかりでした。
内容面で言うと、全体的に「埃っぽい」印象を受けました。換言するなら、「水が極端に少ない」といった感じでしょうか。
とにかく乾燥していて、舞い散る砂ほこりで風景が少しぼやけているような感じ。
もう一つ感じたのは、(一部の作品では)光の描写が壮大だな、と言うポイントです。
うまく言葉にするのは難しいのですが、ものすごく暗いところから明るいところまで連続的なグラデーションの変化が見られる、と言う感じでしょうか。
その描写のおかげか、絵そのものが発光してるような感覚に陥りました。
これとか。画像では全然そんなことないですが、現物はすごかったです。照明の当て方もうまかったのかも?
個人的にはターナーの絵の光に似てるなーと感じました。
ウィリアム・ターナー。19世紀のイギリスの画家。「ターナー展」で出会って以来彼は今もなおcamino's No.1。
知識がないのでふわっとした感想になりがちでしたが、今回はここまでです。
最後に、撮影コーナーで「絵の全体ではなくあえて一部分だけを接写してみたらいい感じに撮れた」写真たちを紹介します。スマホやPCの壁紙に使える……かもしれない。
変な話ですけど、「スラブ叙事詩」は写真映えするなぁと思いました。
【追記】
録画していたNHK Eテレの「日曜美術館」という番組でミュシャ展が紹介されていたので、それについて少し触れます。
日曜美術館でも最初にミュシャの「2つの側面」に触れていたので、冒頭で述べた感想はあながち見当はずれなものでもないな、と思いました。
ただそこでは人物の表情に迫っていたのが印象的でした。
日曜美術館曰く、ポスターなどの「きらびやかで明るい表情」と、スラブ叙事詩などの「暗い表情」が対照的なのだそうです。
確かに人の表情を見るとハッキリと明暗が分かれており、驚かされました。自分で見たときは全然気づかなかったなぁ。
日曜美術館では、この2つの側面についてミュシャの制作環境の違いにも言及していました。
「明るい」方はパリで制作していたもの(展覧会の時もパリ万博のポスターがどうのうと書いてあったような気がする)で、スラブ叙事詩はチェコに戻った時に制作したものなのだとか。
なんでもチェコに戻ったときは敗戦により占領下にあり、公用語までドイツ語にさせられていたのだとか。で、スラブ民族の存亡の危機を感じたミュシャはスラブ民族のアイデンティティの保護(?)のために16年もかけ「スラブ叙事詩」を完成させたというストーリー。
なるほど確かに筋の通った話だ。
本来はこういうのは展覧会のパネルにも書いてあったのでしょうが、混雑していたこともありちゃんと説明を読んでいなかったので、「しんはっけーん」って感じです。
元々めんどくさくて説明書きはあまり読まないタイプなんですけどね……(小声)
なんにせよ、人によって見方が違ったり、歴史的な側面から作品が生まれた背景を知るのも面白いのだなぁ、ということを実感しました。
ありがとう日曜美術館。